Hell’s Kitchen
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2024.5.24 20:00 Shubert Theatre
アリシア・キーズの楽曲によるジュークボックスミュージカルで、彼女の少女時代を舞台にした自伝的ストーリー。こう説明するとよくあるジュークボックスミュージカルのように聞こえるが、流石トニー賞13部門ノミネートだけあって出来もいいし工夫もあった。私は洋楽は積極的には聞いてこなかったので、例によってアリシア・キーズの曲は全然知らないのだが、それでも十分に楽しめるのがただのヒット曲集ではないという照明なのだろう。
ミュージカルのために用意された楽曲ではなくヒットソングなどを利用するいわゆるジュークボックス・ミュージカルには、アーティストの半生を物語る伝記タイプと用意された物語を語るために既存楽曲を当てはめていくタイプが多く、前者にはFour SeasonsのJersey BoysやCarol KingのBeautiful、後者にはABBAのMamma Miaや特定のアーティストに絞らず80年代ヒットソングを集めたRock of Agesなどがある。
どちらのタイプも沢山の作品があるが、賞レースで評価されるような芸術性や革新性を売りにするというより観光客などシアターゴーアー以外の一般客をターゲットにしたエンタメ作品が多く、大抵はカーテンコール後に本編とは関係ないコンサートでいえばアンコール的なライブ寄りのパフォーマンスが1,2曲用意されている。
もちろん観光客狙いのエンタメ作品が悪いわけではない。だが私がBWで見るようになったこの10年でも毎年複数のジュークボックス・ミュージカルが制作されているが、大半の作品は1年立つか立たないかで閉幕している。ジュークボックス系ではない作品も1年以上続く作品は毎年せいぜい2,3作品なのでジュークボックス・ミュージカルのヒットが特に難しいというわけではないだろうが、一般層狙いだとニューヨーク観光中に1本、多くても2本しか見てもらえないと思うので、その1本に選ばれるのが難しいのは想像に固くない。
個人的にはとりわけ伝記系ジュークボックスにマンネリ化を感じる。まあ普通にやればどうしても「若い頃に音楽を始めて色々苦労したけどなんとか成功を掴みました」という風になるので、正直どれ見ても同じだなあと感じてしまうのは否めない。ファンでもないのに見ているから尚更そう思うw
このマンネリ化の問題を解決しようというのは制作側も考えているようで、例えば昨シーズンのNiel DiamondのBeautiful Noiseではカテコの後のアンコール的パフォーマンスに近い演出をライブシーンとして2幕前半に入れてきたりと工夫してあってオタク的には結構面白かったのだが、だからといってその工夫がロングランにつながるかというと難しいようで、こちらも約1年半で来月のクローズが決まっている。
伝記系ジュークボックスの傾向として、どうしても楽曲披露がライブやレコーディングシーンなどになりやすく、ミュージカルの醍醐味である歌でストーリーが進行するという手法が使いにくいという特徴がある。これではミュージカルとしての良さは半減する。非伝記系ジュークボックスは選んだ楽曲に物語を合わせて作るので、普通のミュージカルとあまり変わらないが、伝記系だと各シーンに適切な楽曲を合わせていくの大変なのかヒット曲の登場をドラマ要素にしたいのか、とにかくストーリー展開とは関係ないヒット曲オンパレードになりやすく、結果として展開がワンパターン化してしまうように思う。
Michael JacksonのMJはこの問題を解決しようとしていて、伝記系としてマイケルの半生を描きながらも、かなりの数の楽曲をマイケル以外の登場人物にも歌わせ物語のシーンにも当てはめている。(もちろんライブシーンなどもあるが)振付も各楽曲のMVを同じではなくモチーフは利用しながらも、ミュージカル用に変えていて芸術性を高めてマイケルファン以外のシアターゴーアーにもアピールしようという狙いもあったのかもしれない。カテコの後にアンコール的ライブパフォーマンスがないのもこれまでのジュークボックス系とは大きく違うところで、あくまで本編で観客を満足させようという意図を感じさせる。
これをさらに推し進めたのがHell’s Kitchenなんだろう。これも伝記系の一種だと思うが、物語をAlicia keysが音楽に目覚めるきっかけになった17歳の時期に絞っているので、レコーディングやライブシーンは一切ないのが伝記系としては新しく、アーティストとしてのアリシア・キーズによる歌のシーンがないので、ジュークボックスではないミュージカルと同じようにほぼ全ての楽曲がストーリーを語る構成になっている。MJと同じくカテコ後のパフォーマンスはなく、ラストのEmpire State of Mindがファンサービスを兼ねたストーリーにはあまり関係ないナンバーだと言えるがうまくまとまっている。
ただ、この物語だと主人公のアリはプロミュージシャンを志すわけでもなく、伝記系として作る意味があるのだろうか?という疑問もある。仮にアリシア・キーズも彼女の楽曲も知らずに見たとすると(そんな客はいないが)、ごく普通のミュージカルにしか見えないわけで…個人的にはジュークボックス系であっても&Julietのようなオリジナルストーリーのミュージカルが好きなのでこれならオリジナルストーリーでも作れたのではないかと思ってしまう。
アリシア・キーズ側の自身のエピソードを語りたいという思いと、製作側のあたえられた条件の中でも新しいもの、良い作品を作ろうという意思のすり合わせの結果かな。
という風に、ずっとジュークボックスミュージカルとは?みたいなことを考えながらの観劇だったがそれはそれで楽しかった。(アリシア・キーズ、ミリ知らなのでw)
- 母親役が白人で、カラーブラインドキャスティングってことかな?軽く予習したら母娘の衝突がメインテーマみたいだからそれを表現して…みたいなことを考えていたら、Her mother is white. みたいなセリフがあり、なんだリアルでそうなのかーってなったり、人種の配役の見極めってホント難しいw カラーブラインドキャスティングで白人の役を有色人種がやることはあっても逆はないと考えていいのかな?
- 左BOXだったので舞台上のセットであるピアノの手元が見えた。明らかに演者は弾き真似だが、それは分かりきったことなのでかまわない。だがアリシアのピアノの師匠であるリザがレッスンで弾くときには、実際にピアノを弾いている舞台上のバンドメンバーにライトを当てていて、観客が弾き真似だとわかるための仕掛けとしか思えない。そこにどういう演出意図があるのか気になった。ちなみリザのソロナンバーでは舞台上のバンドメンバーではなくオケピットにいる指揮者が弾いている。(これもBOX席だから出演者用指揮者モニターで確認できた)だからレッスン時に舞台上のバンドメンバーに弾かせるのもライトを当てるのも意図的であることは間違いないはず。もっというとアリシアの父親デイビスが同じようにピアノを弾く時は指揮者が担当していてリザのみの演出である。これも含めてどういう意図があるのか分からない。(オタクは細かいことを知りたがるw)
- 劇中でアリの彼氏はプラバケツをパフォーマンスを趣味にしているのだが、劇場を出るとちょうどそのパフォーマーがいた。マンハッタンの街角でよく見かけるパフォーマンスだけど、当然彼はこのミュージカルの内容を知っててここでパフォーマンスしているのだろう。良い工夫だと思うw