The Prom のテーマはLGBT問題じゃない

   

…は言いすぎかもしれませんが、制作陣が問題提起したいのはそれだけじゃない。
今回はネタバレ全開なので、見てない人はお断りw

The Promの見どころ

楽曲もダンスも俳優陣の演技も素晴らしいが、一番の見所は脚本だ。
とにかく終始笑わせてくれるThe Promだがその笑いのネタとして重要なものが2つあり、そこにこの作品のテーマが隠されている

善意の押し売り

Promの主人公はエマなのだが1幕の彼女は基本的には受け身である。そもそも俳優たちがBWからやってきた理由は話題作りのため。落ち目の自分たちのイメージアップを図るための話題作りとして、たまたまネットで見かけたド田舎インディアナのエマを支援しにやってくる。つまりエマ側が助けを求めていたわけではない。それどころかインディアナ到着後もエマや校長の意思を確認するでもなく、「こんなことは許されない」と一方的にプロム中止に対する反対運動を開始する。下の動画“It’s Not About Me”は 笑えるナンバーなんだけど、見れば分かるように校長とPTAがプロム問題について話し合っている場に乱入し、自分たちの主張を展開する。その一方でディーディーはエマの名前や顔すら覚えておらず、写真を取る生徒にインスタに投稿するように指示するなどあくまで自分の利益のために行動しているのだ。

エマを応援するためのパフォーマンス“Acceptance Song”でもお互いを受け入れよう!と歌い上げるが、途中にリコーダーの演奏や手話による呼びかけを挟むなど演出過剰で胡散臭いし、更に後半は”Accept me!”と”Accept us!”の連呼で非常に押し付けがましいw

とまあ一幕では自称レベラルで民主主義な俳優たちが終始一方的に正論を振りかざす姿を面白おかしく描いている。
彼らの派手なデモンストレーションがマスコミに大きく取り上げられた結果、プロムは開催されることになるがPTAサイドは納得したわけでも説得されたわけでもなく、一幕ラストへの伏線となる。

リベラルな都会と保守的な田舎

笑いのネタとしてもう一つ繰り返されるのは、都会と田舎の対比だ。
BW俳優たちはインディアナで自分たちが生活している都会と同じように振る舞おうとするが、なんでもある便利な生活は田舎にはない。
インディアに到着後、宿泊先を探すのだが都市部で考えるようなホテルは見つからずモーテルに泊まることになる。ディーディーはモーテルでスイートルームを要求するが、受付ではそんなものはないとあっさり断られる。
この場面がとても面白く、スイートルームはないといわれたディーディーがトニー賞のトロフィーを取り出してアピールするも彼女のことを知らない従業員は無視。そこでディーディーはもう一つトロフィーを並べるのだがやはり無反応(きっとトニー賞も知らないのだろう)。こんどはバリーが同様にドラマデスクのトロフィーを取り出すのだが当然効果なく、「それなんなの?」と尋ねるディーディーに、バリーは「ドラマデスク…ってあんた知ってるだろ?」と返すわけw
“It’s Not About Me”に続いてディーディーの性格の悪さを強調されるのだ。最後にトレントが話しかけると、ディーディーもバリーも知らなかった従業員がトレントのことは分かるというオチでほとんど新喜劇のノリw(ここがいまいち聞き取れなかったが、多分トレントのことはテレビで見たことがあったんだと思う)
この後も校長のホーキンスに食事に行きたいと店の名前をいくつか上げるが、当然インディアナにはそれらの店はなくApplebee’sに行くことになったり、エマにプロム用のドレスを用意するために〇〇へ行こう!と提案するも、「〇〇はないけどKマートならある」と答えるなど、都会と田舎の違いは何度も強調される。(都会側の店は聞き取れず…多分知らないから)
この手のやり取りを何度も繰り返したのち、2幕冒頭では落ち込んだエマを慰めるためにハーゲンダッツを買ってくるシーンでは、ハーゲンダッツはアイスクリームだと説明を入れ、「ハーゲンダッツぐらい知ってるから!」と切れられるw

それから前述の”Acceptance Song”が披露されるのはモンスタートラックの会場であるが、ミュージカルの観客層とはおよそ水と油であろうことは想像に固くなく、案の定パフォーマンス後は大ブーイングを食らう。これも都会と田舎では娯楽の種類も大きく違うことを揶揄しているのだろう。

つまり都会の人間は田舎の人間のことを全く理解しておらず、そこに大きな問題があることを示唆しているのだ。
BWWの掲示板で見かけた「こんな町存在しないだろ?と思ってるやつもいるだろうけど、田舎の小さな町は実際こんな感じだから。」というコメントが印象的だった。

リベラルな演劇界の自己反省?

とにかく作品の作りとしては徹底的にコメディで、常に笑いを取りにくる。でも振り返ってみると気づくことがある。それは笑いの大半はBWから押し寄せる俳優たちの行動によるものであること。そもそもPTAサイドの描写は殆どないのだ。PTA代表はエマのパートナーであるアリッサの母親であり、実はアリッサが同性愛者であることに感づいているが、そのあたりを掘り下げることはしない。(よって母親のナンバーはない)
制作陣はもちろんリベラルで民主主義なBW俳優たちと同じ思想を持つのだろうが、自分たちの無理解や奢りに対する反省を笑いに包んで描いており、決して保守的な田舎を断罪してはいない。自らのリベラル思想が間違っているとは考えていないだろうが、相手を非難するだけでは何も解決しないという現実を踏まえ、BWの観客の大半がそうであろうリベラル層に問題提起しているのだろう。
ビジネス的に考えても今後ツアーで地方を回るとして、保守的な田舎を過度に叩いたり笑いのネタにしては受け入れてもらえない可能性すらあるし、リベラルな都会側の反省と問題提起に徹しているのは上手いやり方だと思う。

ちなみにThe Promでは問題の大半は解決しない。
2幕の”Love Thy Neighbor”では「汝の隣人を愛そう」という聖書の教えに忠実であろうというトレントの呼びかけに答えた生徒たちが、LGBTを排除するPromに参加したことを反省し、すべての人のためのPromを開催しようとするエマ達の支持に回る。だがPTAは最後まで反対したままで立場を変えないし、最終的にカミングアウトするアリッサを母親が理解するわけでもない。(二人は後で話し合いましょうと約束するだけにとどまる)
教育と啓蒙によって次の世代ではより良くありたいという現実的な落とし所ではあるが、逆にそれだけ現世代が理解し合うのは難しいということを示しているとも言える。
二幕ではBWの俳優たちもあまりにも独善的だった自分たちの姿勢を見直すが、ディーディーは最後まで奢りや偏見が抜けきらず、ラストシーンでは恋人となったホーキンス校長に今後も自分を導いてほしいとお願いしている。更にバリーにホーキンスを壊さないように見ていて欲しいとも頼んでいる。(ここは笑いを取る場面ではあるが)
大人達が変わるのは、双方ともになかなか困難であるということだろうか?

LGBTはあくまで一例にすぎず、The Promが真に伝えたいのは都会と田舎の分断であり、その解決については観客に問いかけられているのだ。

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